赤井川村の歴史ロマン⑤~明治時代~

 支配人の中村です。

 懲りずに第5回目。

 明治時代の「村」としての「黎明期」を整理してみたいと思います。

 その前に…

 私は卒論で「吉田松陰と松下村塾」について書き、その関連で、粟屋貞一翁について知り、大江村(現・仁木町)開拓について知り、赤井川村の開拓について学びました。

 村の歴史について書かせてもらうことで、多くの方々とつながりをもて、楽しいかぎりです。

 この場をかりて感謝申し上げます。

 さて、明治15年頃、長州藩の旧士族・大江村の開拓責任者 粟屋貞一によって、この土地は「発見」されました。

 ただし、何度もくりかえして恐縮ですが、この土地はすでに縄文時代からアイヌの人々が住みつき、それによって道ができ、土地が拓いていたと、私は個人的に考えており、それはきわめて重要なことでした。

 明治21年頃には無願入地(無許可の入植)で新潟県人の長谷川友太郎という人が定住しました。これも念をおさせてもらいますが、「記録に残るかぎりの最初の和人の定住者」ということですね。

 ご存知のとおり、現在の赤井川村の面積はかなり広く、大江村方面、余市方面、小樽方面などから入ることができたので、「記録に残らない定住者」は他にもいたと、私は考えています。

 そのころこの土地は「大江村赤井川原野」、「大江村近傍」などと呼ばれていました。そうです、当然ながらまだ「赤井川村」ではないわけです。

 

 明治27年5月3日付けで余市開墾株式会社の林長左衛門などがこの土地の正式な貸付を受け、42戸(約250名)が開拓団として入地しました。本格的、組織的な開墾の始まりですね。

 その後、御料林(明治憲法下における皇室所有の土地)が解除され、多くの開拓希望者が土地の貸付を受け、開墾が加速したといわれています。

 明治32年、大江村から分村し、「赤井川戸長役場」が設置されました。

 明治39年4月1日、後志支庁に組み込まれ「赤井川村」が成立しました。

 (つづく)


 森のテラス支配人 中村雅志

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