赤井川村の歴史ロマン④~「開拓」を想像する~

みなさま、本日もブログをご覧いただきありがとうございます。

支配人の中村です。

さて、大好評(???)の歴史ロマンシリーズの第四回目です。おつきあいください。

これまで、黒曜石、アイヌ、村の開祖・粟屋貞一、「赤い川」について自論を述べさせてもらいましたが、当初は全10回くらいのシリーズで完結させるつもりでしたが、第四回目にしていまだ明治時代なので、まだまだつづくと思います。どうぞ、やさしく、あたたかな目で見守ってやってください。

おわかりだとは思いますが、私は、歴史を専門的に学んだことはありません。たんなる歴史マニア、歴史オタクなだけです。私の歴史好きの基本は、司馬遼太郎のいわゆる「司馬史観」であり、松本清張の「清張史観」です。中学生のころからの大ファンで、二人の作品を読破とまではいきませんが、かなり読み込みました。『清張通史』などは、学会をおびやかす、画期的・革命的なシリーズだと思っています。

そして、赤井川村。

日本有数の黒曜石の産地であったこの土地には、縄文時代ころには、すでに多くの人たちが暮らしていたと推測できます。赤井川にほど近い余市や小樽には、環状列石(ストーンサークル)や古代文字(フゴッペ洞窟、手宮洞窟など)の発見があります。

明治期になると粟屋貞一翁などの旧士族が本格的な開拓に着手しはじめますが、そのころすでに無許可・無願での開拓農民が住み着いていたということですから、記録に残らないだけで、小樽・余市・仁木方面から、「和人」は入ってきていたのでしょう。

そのようなことを想像して、北海道の気候に深く思うことがあります。

それは「雪」です。

赤井川村は北海道でも有数の豪雪地帯です。冬はとりわけ厳しい季節…そんな土地によくぞ住み着いたものだと思います。

江戸後期から明治期の「和人」にかぎらず、アイヌの人たちも、よくぞこんな厳しい土地に住み着いたものだと、つくづく思ってしまいます。

灯油ストーブも除雪機もない時代。

人々はこの土地に生活の基盤を置きました。冬になれば道は雪で閉ざされ、朝晩にかぎらず、日中さえも凍えるような寒さの日々。一年間の半分は、雪に閉ざされているといってもいい過ぎではありません。

一年の半分が雪であるということは、残りの半分の期間に1年分の食い扶持を確保しなければなりません。

それはそれは厳しい生活だったのではないでしょうか…。

そういった厳しい時代の積み重ねの上に、いまの「赤井川村」があると思えば、めぐる季節を想像し、冬、残酷に降り積もった雪を見る目も少しはちがってくるのではないでしょうか?

…まあ、そんなことより、今は、夏! 夏は夏で森のテラスでは草刈り作業が… トホホ…

草刈りに励んで、みなさまのお越しをお待ちしております!

支配人 中村雅志

TEL 0135-34-7227

E-Mail 0pg38z5727-128f@ezweb.ne.jp

ようこそ。 森のテラスへ。

赤井川にある「森のテラス」は  1棟まるごと貸切OKの   天然温泉付きコテージです。

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